こんにちは、島田(つぶやきはこちら)です。
タイトルにある「頼まれごとは試されごと」という言葉。
中村文昭さんが世に広めた言葉で、人から頼まれるということは信頼されている証拠だから、頼まれたことは積極的に取り組みましょう、という意味のようです。
確かに、このロジック自体はおかしくなく、私も新卒時代は初めて経験することになる業務の割り当てに対して、「何これ無茶ぶりじゃん」と毎日思いながらも、何とか食らいついていったら結果的に成長できました。
その当時の上司にはとても感謝しています。
ただ、全ての頼まれごとがそうじゃない、というのが私の見解です。
「頼まれごとは試されごと」の罠
極端な話、上司がやるべき仕事を部下に放り投げることも、部下からすれば頼まれごとです。
が、そういった頼まれごとの全て成長に繋がるのか、といえば疑問が湧いてきます。
この手の話は、修行中の人の身にもしばしば起こります。
もう数年以上前の話ですが、ホリエモンが寿司職人の長すぎる修業期間は無駄、と発言して話題になったことがあったかと。
大将から言われる米炊き3年という、ある意味頼まれごとは、信頼されたうえでの試されごとで、絶対その修行者のためになっていると言い切れるのか、というと、ちょっと違いますよね。
実際にその後、修業期間が1年未満の寿司職人がミシュランを獲得して、またちょっと話題になりました。
(米炊き3年を批判しているのではなく、あくまで過去の話題を例としています。)
要するに、全ての頼まれごとを思考停止で「試されごとだ」と受け入れてしまっては、自分を犠牲にすることになりかねないということです。
なので、頼まれごととの正しい付き合い方を知る必要があります。
頼む側の人を信頼できるか?
まず、頼まれる側が、頼む側の人のことを喜ばせたいと思っていたり、助けたいと思っていたりしているかどうかの感覚があるかは大切です。
というのも、その感覚が皆無のまま頼まれごとを受け入れてしまうと、ただの奴隷になってしまうからです。
で、頼む側の人の頼みごとを請け負ってあげて、喜ばせたいという感情が湧くのであれば、少なくとともその頼む側の人のことは信頼しているはずですよね。
詐欺師だと分かってたら絶対に協力はしないじゃないですか。
じゃあ、自分が信頼できている人をどう見極めるか、ですが、その答えは一見無さそうにみえて、考え方はシンプルです。
私自身、信頼関係というのは、頼む側(上の立場の人)自身が見本になっている必要があると教わりました。
つまり、見本にならない人との間に信頼関係を築くことはできないということです。
見本→信頼の順番は変わりません。
ただ、ここでいう見本というのは、「何でも完璧にこなすスーパーマン」のような人ではありません。
完全無敵のスーパーマンだったら、むしろ少しでも助けになって喜ばせたいという感情は湧きませんよね。
見本になる人は逆で、自分はまだまだ未熟で完璧ではないという認識を持ちながら、常に完璧を目指している人です。
そして、この見本になる人から言われる頼まれごとに対しては信頼ができるので、頼まれる側は試されている、むしろチャンスだと思うことができるわけです。
冒頭の例でいうと、上司がやるべき仕事を放り投げて仕事を頼んできたとして、それがただの職務怠慢だったら信頼はできませんし、チャンスが隠れている試されごとだとは思えません(チャンスがある可能性はありますが、高くはないです)。
ですが、上司の見本となる姿が目に入ると、その姿を目指そうという感情が生まれるので、頼まれごとは試されごとだという思えるようになります。
何より、この感情があるかないかは、パフォーマンスにも影響します。
信頼できない人間のためにイヤイヤ頼まれごとをするのか、信頼できる人間がいうことを信じて積極的に頼まれごとをするのかでは、成果は大きく変わってきます。
もっというと、もし頼まれごとで成果が出なかったときに、イヤイヤでやっていると後悔しか残りませんが、積極的に関わっていたなら「何が足りなかったのだろうか」と前向き失敗を捉えることができますよね。
目的や目標を達成できるか?
じゃあ、信頼できない人からの頼まれごとに試されごとはなく、全く価値はないか、といえばそうとは言い切れないケースもあるかと。
冒頭の寿司屋の例でいうと、大将が信頼のおける人間ではなかったとしても、米炊き3年は立派な寿司職人になる過程で本当に必要なことかもしれませんよね。
ですので、ここでもう一つ、頼まれごとが試されごとなのかを判断するためのフィルターが必要になります。
そのフィルターの役割を果たすのが個人的な目的や目標です。
目的を明確に
目的とは、なぜそれするのか、という理由です。
そして、大抵の場合、目的は守りたいものを守ることがその源泉になっていることが多いです。
たとえば、自分のプライドを他人から踏みにじられたくなかったり、家族をちゃんと養いたかったり、そういった守るべきものを守ることが目的になっているということです。
この点で、頼まれごとに対して、この目的のフィルターを設置するためには、自分が守りたいものを把握しておかなければいけません。
それは、これだけは絶対に譲れない、もしくは汚されたくないと思えるものです。
こういった類のものは、過去に乗り越えた原体験を思い返すことで湧き出てきたりします。
また、物理的に守りたいと思うものに関しては、自分を中心としてどんなものが存在しているかを図にしていみるといいかもしれません。
具体的にいうと、紙の真ん中に自分を書いて、どんな人が関わっているか、その人達を守っていくためにはどんな物が必要なのか、を放射状に書き加えていくイメージです。
こうすることで、自分が守りたいものを俯瞰で見えるようになります。
話を戻すと、その守りたいものを守れる頼まれごとだったり、守りたいものを守るための頼まれごとであれば、意義のなる試されごとになるということです。
逆に、守りたいものを守れない頼まれごとやは、守りたいものを守るエネルギーを犠牲することになるので、価値があるとはいえません。
目標を明確に
目標とは、目指すべき姿です。
目的と違うのは、目的は既に持っているものですが、目標はまだ持っていないイメージだという点です。
この点で、頼まれごとと目標との間でミスマッチを起こさないためには、目標をハッキリさせておく必要があります。
ただ、目標を設定するときには、目的と違い事実に基づかずに考えることができます。
一方で、どれだけでも妄想を膨らませることができてしまうという落とし穴があります。
ですので、時間的な制限がある目標を設定することをおすすめします。
たとえば、3年後に達成すべき目標を設定して、解像度高くイメージするのです。
そして、目標が設定できたら、頼まれごとがその目標を達成するために必要なのかどうなのか、ということを確認してください。
もし目標の達成に必要であれば、その頼まれごとに対して乗り気でなくてもやるべきだということになります。
目標を設定しておく理由はここにあります。
というのも、本来目指すべき姿(目標)を達成するために必要な頼まれごとであるにもかかわらず、その目指すべき姿(目標)が設定されていないと、嫌な頼まれごとから無意識的に逃げてしまう可能性があるからです。
これを避けるために、目標を明確に設定した上で必要な頼まれごとはちゃんとやる、という姿勢が大切になってきます。
要するに、目的も目標も、やるべきではない頼まれごとをふるい落とす役割と、やるべき頼まれごとを残す役割のどちらも果たすということです。
